日本の英語教育これからの対応

2013 年 5 月 29 日
宮永國子




  国際語としての英語を習得し、グローバル社会のリーダーとなろうとする日本にとって、 「まっとうな」英語の習得は不可欠にして、急を要する。根本的な問題は、英語と日本語 の違いにあることは誰でも知っている。実践的な問題点は、日本語は単語(lexicon)で表 現し、英語は加えて構造(syntax)によっても表現することにある。もっとも単純に言え ば、現在の英語教育は、単語が中心となっているために、構造が忘れられ、あたかも英語 が簡略な日本語であるかのように教えられていることである。

  この問題は根本的であっても、実践的な対応は、考えられているほど難しくない。もっ とも単純化して言えば、現行の教育に、(1)構造部分を追加、補てんすることで、全体の 構成を矯正し、(2)単語を当てはめることを止め、意味の単位(となる句や節)で文章を 組み立てるようにすることで、十分に対応できる。具体的には、以下のようになる。(1) については、中学レベルで、構造の基本となる五文型を自由に使えるまでになることであ り、(2)については、高校レベルで、これら五文型に意味の単位(句と節)を当てはめて、 文章にするスキルを習得することである。単語をつないでゆくことから脱却するだけで、 「まっとうな」英語に近づくことが出来るし、通じる英語になる。

  この際の注意点は、言語は表現行為であることを第一原則として確立し、スキルの習得 は、必ず意味内容の表現を目的とすることを、小学生を含め受講生がどのレベルであって も、最初から徹底することにある。例えば耳の訓練等は、意味内容の聞き取りであってこ そ意義があり、耳だけが単独に敏感になっても英語学習との直接関係は薄い。これは全て のスキルについて言うことができる。

  現行の英語学習では、まるで数式に数字を当てはめるように、文法に単語を当てはめる が、本来なら、数学でも単に「当てはめる」のではなく、数式の意味を先に習得しなくて はならない。明治維新では、伝統から近代に移行するために、意味を問わずに技術の習得 が先行したが、第二次大戦後の日本でもこれは続いている。このようなスキル偏重の社会 関係を、中根千恵氏は「軍隊的」と表現したが、今は、軍隊でさえも機械的なスキルはロ ボットに任せ、人は考えるマネージメントに移行している。この効果は、危機管理能力に 端的に表れる。第二のパラダイム転換は 20 世紀にすでに始まっている。

  21 世紀のグローバル社会のリーダーとなるなら、日本にもパラダイム転換が必要となろ う。この点で興味深いことは、古英語は日本語と似ているということである。古英語では 形容詞が表現の中心となっており、また内面表現の叙想法が多く使われていた。この後英 語は、定説となっているように、1500年を境にして、S+V+O(第 3 文型)の語順の確 立によって、叙述的な古英語から分析的な近代英語へと進化する。これによって、近代英 語が産業革命の言語となったことも定説となっている。われわれが今古英語に似て叙述的 な日本語を基本にして、近代英語を第二言語とすることは、この英語の内部進化を学習者 全員が行うに等しい。しかも近代英語では、20 世紀のパラダイム転換を受けて、叙述性を 取り戻そうとする傾向がある。そうであれば、叙述的な日本語と近代英語の組み合わせに は、パラダイム先行の相乗効果さえ期待でき、後発利得と言うことができる。日本語から 英語に移行するという発想は、21 世紀ではむしろ古いのではないか。

  この目的で、留学制度を考えるなら、日本と欧米の大学が地続きになることを目指し、 入学試験の改善、教員の教育助成と留学の奨励、とくに帰国後のポジションの確保が必要 となる。さらに、子供時代から夏休みは、海外で過ごすことができるようにし、海外経験 がメリットとして受験に反映するようにすることが必要となろう。外国から人を招聘する なら、たとえば引退したリーダーレベルの人材を、契約雇用で優遇し、マネージメントと は切り離したうえで、外国からの人材の終身雇用の是非を再考する必要がある。 いままでの海外留学制度の問題点として、留学の成功者は現地に残り、失敗者は帰国す ることが指摘されているが、現地に残る人材とはその後結べばよいし、傷ついて帰国する 人にはケアが必要となることは言うまでもない。このケアの経験からは、日本社会は多く のことが学べるはずである。最小の変化で最大の効果を挙げるシナリオは実行可能と考え ている。



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