グローバルスタンダードとしてのパラダイム転換
宮永國子著
2013年2月20日




事実への執着

  西洋には、事実にたいする限りの無い好奇心がある。執着と言う方がよいかもしれない。科学の進歩は、事実に対する執着の歴史的表現だ。この中で、西洋は二度、パラダイム転換をした。初回は、伝統から近代へ、二回目は、古い近代から新しい近代へ、の合計二回である。パラダイム転換とは、優位の事実性の発見であり、それを社会が受け入れ、個人が発想を転換することだ。新しい発想の人が、新しい社会を作り、新しい基準で世界をリードする。この視点からグローバル社会の現状を俯瞰してみると、今まで見えていなかったことが見えてくる。世界はすでに、三分の一が新しい近代に転換し、三分の一は転換中であり、残りの三分の一は、転換しようにも、何が起きているのか分かっていない。発想の転換は、コロンブスの卵だ。出来てしまえば、当たり前に過ぎないのだけれど、出来ないうちは不可能に見える。


ハイライトは産業革命

  科学の進歩のハイライトは、産業革命だ。西洋のパラダイム転換は、コペルニクスの地動説に始まり、ガリレオがそれを広め、その後ニュートンが近代力学理論として、完成したことは高校で習った。産業革命は、近代科学の大衆化だ。古代ギリシャの科学が、一握りの「考える」市民の特権だったように、伝統社会では、知識は支配階級によって独占されている。征服は優位の武器によって、支配は法の整備や制度の充実によって為されるが、それを生産する「知の力」を独占することは、特権的な力を生み出す。この知の力は、広い意味での科学ということでもあるのだが、西洋近代は、その科学を庶民に開放してしまったのだ。

  だから西洋近代は、誰でもが参加して、利益を拡大しようとする。今の言葉で言えば、機会均等であり、民主主義のことだ。しかも同時並行的に、いわゆる地理的拡大、植民地主義が進行する。どれも、科学の大衆化無しには、考えることはできないだろう。個人の発想は転換される。西洋は発明ラッシュとなり、蒸気機関の実用化によって、エネルギーの性質が根本的に変わってしまう。蒸気の力はすでに、古代から知られていたが、実用化されたのは、十七世紀からであり、よく知られているワット(James Watt)の蒸気機関の発明は一七六九年とされており、十八世紀のことだ。十九世紀の中ばになると、石油の採掘と精製が安定供給されるようになるが、それにともなって、今と同じような石油エンジン(内燃機関)が普及し、それを使った自動車が流行する。

  技術革命はエネルギーを、人力と馬力から解放し、生物とは無関係の蒸気や石油に求めることとなる。これによって人は、道具から機械の使用に移行し、それにともなって急速に、徒弟制から工場生産へと、生産形態が変化した。工場での大量生産に伴って、近代的な階級制度が完成する。社会は、雇用者と被雇用者に分かれ、この分離は、富の所有者と労働提供者の分離でもあり、持てるものと持たざる者の分離でもあった。徒弟制度という、疑似的な親子関係の制度の崩壊と並行して、家庭の中の人間関係も変化した。親子関係と夫婦の関係が変化し、プライベートな分野が、ほかの社会生活から分離されることになった。結果的には、一般的な男女の関係までが変化し、最後にはセックスの意味までが変わることになった。社会のあらゆる場面で、発想の転換がされ、実践されたのだ。


パラダイム転換

  このように何もかもが変わることを、パラダイム転換と呼ぶ。産業革命をモデルにして考えると、まずは科学が根っこから変わり、それが産業を変え、社会を変え、個人を変えてゆく。しかし、科学が天動説から地動説に変わっても、見上げれば星も月も太陽も、同じように東からのぼり、西に沈む。観察に限れば天動説は素直で、見えるものを、あるがままに捉えるだけだ。 ところが地動説は、動いているなどとはどうしても、五感では感じられない地面が、動いていると主張する。星も月も太陽も、見えるままではない―と主張する。本当の姿は、推理しなくてはならないが、推理は目には見えない。地動説の主張する客観的事実は、見えるままの事実プラス推理であって、推理は抽象だ。人の考えの中にある。

  だから、地動説には有って、天動説に無いものは、推理だ。事実は推理によって捉えられるという確信は、天動説とは無縁のものだ。地動説の科学の推理は、具体から抽象に移行することを言う。そうであれば究極的には、地動説に有って、天動説に無いものは、抽象だということになる。推理の中だけに存在する事実を、抽象として捉えて保存するためには、言語は不可欠のツールだ。 そのために、驚くべきことだと思うのだけれど、社会が変わっただけでなく、英語という言語までも変化した。社会の近代化と並行して、英語は近代英語へと「進化」する。だから今、英語を話すことは、そのまま、西洋近代のパラダイムに参加することになる。推理と抽象によって、事実を確保することになるのだ。英語文化では、推理と抽象は、英語独特の対話のスタイルともなり、教養となって定着している。英語の教養は、有っても無くてもよい知識のことではない。ただし、日常的な発話は、在るがままに「見える」世界の描写で足りる。天動説のままで済ますことはできる。具体的な経験の世界だ。


英語は分析力

  だからわれわれが留学したり、仕事上の必要に迫られて、英語を習得したりするときに、どのレベルの英語を身に着けるかは、本人の選択に掛かっている。具体に留まるか、推理と抽象まで行くかは、本人が決めることだ。わたくし達は、日付変更線を通るとき、一日日付が変わるだけでなく、人によっては、日本語のイメージの世界から、推理と抽象の近代英語文化の世界へと、ワープするかもしれない。そしてもちろん、グローバル社会でリーダーを目指す者には、具体的な経験の日常世界を超え、推理と抽象による分析力 の習熟が不可欠となる。

欧米トップ大学のMBAを持つライバルが、英語の分析力を駆使して、会議やネゴシエーションをリードしてくるときに、イメージによる直感だけでは、太刀打ちできない。これは、ある大手電機機器メーカーのトップに聞いたことだが、中国市場であっても、ライバルは欧米のメーカーで、会議では、中国人の前で欧米のライバルと、英語で議論して勝たなくてはならない。そうであれば、推理と抽象による分析能力を獲得できるように、初めから英語を学習すればよい。何度も言うようだが、知識の習得は、コロンブスの卵だ。分かってしまえば、難しいことはない。やみくもに掛かるので、難しくなってしまう。自分で難しくしているのだ。分析力を習得したうえで、直観力があれば、鬼に金棒だ。日本語にも、日本文化にも、直観にたいする強い感受性がある。[1]


新しい近代  
 

  二十世紀は、地動説の内部で、更なるパラダイム転換の時代だった。近代科学がさらに、アインシュタインと量子力学によって転換され、それまでの古い近代には無い、新しい発想が生まれ、展開した。新しい近代だ。新しい近代にあって、古い近代には無いものは、「客観は主観を通してしか認識できない」という考えだ。当たり前と考えれば、これほど当たり前なことはないのだけれど、古い近代では、いったん客観が手に入れば、それは誰にとっても自明のものだと考えられていた。だから主観を排することで、客観を手に入れようとしたし、世界は結局、自明のものとされたのだ。しかし新しい近代では、世界は自明ではなく、相対的なものだ。世界も宇宙も、自分自身も、ほとんどは分かっていないと、今は考えられているのだから、世界に対する理解は、常に刷新されることが可能だ。現在分かっていることも、いつかは刷新される。刷新を可能にするのは、人だ。人が、考えるのだから、発想の転換が必要となる。


ポストモダン 

  主観を排除する古い発想から、主観に積極的に取り組んで、「客観は主観を通してしか認識できない」という新しい発想への転換は、自然科学の領域を超えて、二十世紀の後半、ポストモダン文芸運動として展開した。ところが日本では、ポストモダンというと、まるで伝統社会への回帰であるかのように、誤解されてしまっている。たしかに伝統社会は、主観の世界だ。伝統社会から近代社会への移行に伴って、主観と客観が分離した。主観は見る側で、客観は見られる側だ。だから古い近代では、正しく見れば、客観に到達すると考えられた。正しく見るためには、正しい理論と方法が必要だとも、考えられた。現在でも、ほとんどの社会科学の観察は、出来上がった方法と理論によって固められている。既存の理論と方法を、「あてはめる」ことで、客観を認識しようとする。ポストモダンが相対化しようとしたのは、まさにこのような古い発想であり、「あてはめる」発想であり、社会決定論だった。

  ポストモダンの展開点となったのは、次の命題だ。「私は、うそつきです」という文章の発話者は、うそつきだろうか、正直者だろうか。文章の中だけで考えれば、この人は自分でそう言っているのだから、うそつきだ。しかし、うそつきが、正直に自分の嘘を認めたら、この人はうそつきでいられるのだろうか。そう考えると、解は、文章の中には無い。さまざまな可能性が、文章と、発話者の意図と言う主観の間に、浮かび上がってくる。そうだとすれば、解は一つではない。

  ポストモダン文芸運動は、言語学、文学、哲学、社会科学の分野で、さまざまに展開したが、「客観は主観を通してしか獲得できない」という新しい発想に到達して終わった。これによって、二十世紀の初頭に始まった、新しい近代への転換は、自然科学を超えて、社会と文化の中に定着した。目的はどこまでも、新しい近代への発想の切り替えで、伝統回帰ではなかった。少なくとも世界の三分の一は、発想を切り替えてから、二十一世紀に突入したことになる。


パースの仮説 

  「客観は主観を通してしか獲得できない」という新しい発想の展開で、パース(Charles Sunders Peirce 1839-1914)の「仮説」という概念が、ポストモダン以降、あらためて脚光を浴びることとなった。彼は、科学的思考の形態として、演繹(Deduction)と帰納(Induction)を挙げたが、このふたつの推理過程のほかに、仮説(Hypothesis)という推理過程を提唱した。古い近代では、あまり日の当たらなかったパースの仮説が、新しい近代では第三の発想として、あらためて脚光を浴びている。理由は、演繹と帰納が、古い近代の決定論的な客観に直結するのに対して、仮説は、感情やイメージのように、古い近代では排除されてきた主観的要素を、推理過程に持ちこむことで、創造的な思索を積極的に求めるからだ。


アブダクション 

  この「仮説」を、のちにパースはアブダクション(Abduction)と名付けた。日本語訳は無いので、自然科学でもいまのところ、一般的にアブダクションと呼ばれている。この言葉の意味は、さまざまに解釈されてきたが、面白いことに一般的な意味は、「誘拐」だ。動詞の「abduct」には、「引き離す」「無理に引き離す」という意味もあるが、パースの「abduction」に限っては、動詞も特別に存在して、「abduce」になる。演繹の「deduce」と帰納の「induce」に対応して、「abduce」と言うわけだ。これはパースの言う意味での「abduction」の動詞としてしか使われず、一般的用法が転用されたわけではない。これに対して、「abduct」の一般的用法は、もちろん「誘拐する」「引き離す」等だが、パースにたいしては使われず、「abduce」を使う。 

しかし、逆らうわけではないのだが、パースを読むと、「abduct」のほうが適合しているように思えてくる。既存の常識では理解できない現象を、なんとか「もぎとって」くることを、言っているとわたくしには思えるからだ。よく分からないことは、気が付かないか、気が付いても見過ごすのが、ふつうだし、良識ある態度とされている。しかしパースはここで、新しい現象の発見の可能性が、直観にあることを見抜いている。何かが目の前を横切ったら、それを素早く掴み取ることだ。さらってくるという意味では「誘拐する」が、もっとも適合するかもしれない。この「誘拐する」ことの面白さは、理論抜きに、目の前の現象に集中することだ。演繹でも帰納でもなく、それはもうそれとして、現実の中から素手で掴み取る。新しい現象が、既存の論理に護衛されているなら、「誘拐する」ほかは無いのだ。しかし学問的には、「abduce」となる。


IBE  

  ポストモダンを受けて、千九百九十年代からはアブダクションを、方法化しようとする試みがある。「Inference to the best explanation(最良の説明に至る推論)」と呼ばれるものがそれだ。略して、IBE。

一つのテーマ(命題)にたいして、可能な限りの仮説を立て、その中からもっとも観察された事実に適合するものを選ぶ。これが最良の説明であり、そこに至る方法がIBEと言うわけだ 。[2]

二十世紀には、自然科学のパラダイム転換を追って、社会科学も教育も、パラダイム転換を目指した。先端の社会科学は、既存の理論と方法で、がっちり固めた古い社会科学とは対照的で、創造的だ。理論を作る理論を作ろうとする学者もいるが、IBEは理論そのものではなく、一種の態度だという方が良い。解が一つでは無いと決めたなら、一つ以上の解に到達する仕方を、条件に応じて創出しなくてはならない。この創出の過程がIBEだ。出来合いの答えでは満足できないのだから、新しく最初から、定義しなおして出発しなくてはならない。定義は、自分がする。ここでは、創造的な行為にたいして、責任の持てる個人であるということが、社会的な能力として評価される。これが「自分がある」ということの意味なのだ。だからこそ今、ハーバード大学で、正義の講座と自己変革の講座とが、圧倒的な人気となっている。近代の先端では、「自分」というものもまた、IBE(アブダクション)して、創り出すものなのだ。


伝統回帰  

  古い近代は、ひたすらに伝統を否定したが、新しい近代は、伝統にいったん戻ってみることで、古い近代を出ようとする。しかしこのことは、近代を捨て去ることではない。伝統を経由して、近代の先端に躍り出ようとする。例えば、演繹でも帰納でもないが、伝統には存在する認識に「悟り」がある。われわれには、身近な考えだけれど、これがアブダクション(仮説)になると、一味違った応用がされる。

  アブダクション(仮説)の新しいやり方は、ものを見るときに、わざと見えないものを、見ようとすることだ。量子論の発明者、ボーアが日本を訪れた時、富士山を見ながらこのことを「悟った」という、エピソードが語りつがれている。富士山を見ながら、富士山でないものを、わざと考えようとしたとのだ。富士山を見ながら、「非」富士山を発想しようとする。一般化すれば、「A」を見ながら、「非A」を考える。もう少し進めれば、富士山という「有るもの」を観察しながら、富士山では「無いもの」を発想しようとする。究極的には、「有」を観察しながら、いったん「非有=無」を経由して、発想そのものを転換し、新しい発想を発見しようとする。この時同行した日本人は、やっぱり、富士山には霊力がある、と感心したということだ。この富士山のエピソードは、あまりよくできているので、後世の作り話かもしれない。  


身体論の輝き

 「悟り」の導入も含め、演繹や帰納と違って、アブダクション(仮説)は、ふつうの意味での直観を駆使するだけでなく、五感をフルに使う。アブダクションという言葉は、とくにここを強調する。観察に目を使うのは、当たり前だとしても、音によって起こされる感動や、イメージによる絵画的な把握も、重要な手段となる。第六感も入れれば、全身全霊で、世界を捕まえようとする。これまでとくに西洋では、抽象を重んずるあまり、具体、とくに身体感覚を否定しようとした時代さえあった。抽象に行こうとすると、体が邪魔すると考えた近代を経験している。新しい近代は、身体感覚の解放につながってゆく。二〇世紀の性の解放は、こんなところにまでも繋がって行く。

  ここまで来ると、古い近代では、不利に思えた日本的な発想が、急に輝き始める。全身全霊で、世界を把握するというのは、きわめてアジア的な発想で、近代西洋の古い合理主義的常識からは、もっとも遠いものだ。特に古い近代の決定論、演繹的な発想は、出来上がった理論やルールが、観察の対象や、身体感覚までも支配しようとする。理論が、五感の逸脱を許さない。そのため、第六感までも、鈍ってしまうことになる。伝統文化は、ほんのちょっとした「きざし」を、キャッチすることに長けている。論理的な脈絡を欠いていても、なんでもキャッチしてしまう。それで良いと考えている。外界だけでなく、自分の内面の感情に対しても同じ態度がある。西洋人には、これは驚きだ。


日本文化に驚く

  そのことに非常な驚きを感じて、ドイツ人のジンガーは、以下のように言う。 日本人の言語と文学は、感情のひだや細かい意味の違いを、非常に豊かに表現する。[Singer 1997 (1934): 47]

  表現するためには、感情のひだを感じ取れなくてはならない。まさにアブダクション(abduction)だ。しかも、感情のひだを感じ取るだけでなはない。さまざまな感情を抱え込めば、それらが互いに対立することはあって当然だ、と西洋人のジンガーなら考える。しかし、 驚きを禁じ得ないことは、日本人が心に対立する要素を抱え込んでいること自体ではなく、要素間の対立をまったく感じていないことにある。[Singer 1973: 48].

  西洋合理主義では、こころは合理化されていて、適合しないものは入れない。けれどもジンガーの日本人は、全く違っていた。なんでも掴み取ってしまう。選択しない。そのことが、ドイツ人のジンガーにとっては、全くの驚きだった。


イメージを俳句する

  それは日本語が、原理には無関心だからだ。抽象にも、同じく無関心だ。日本語の関心は、具体的な存在にある。ぱっと情景を、イメージで一瞬に捉えることができる。言葉は、そのイメージのキーワードとして機能する。言葉で、元のイメージが呼び出される。松尾芭蕉(1644-1694)の次の句のように、俳句はこの極限的な洗練だ。 閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

  この句は、岩手県のお寺で詠んだものだといわれている。セミの声は、耳を聾するばかりにうるさい。それが、いつしかふっと遠のいて、岩に沁みこむような静けさがやってくる。うるさいセミの声がやんだのではない。ただ心の静寂が、セミの声に喚起されるかのように、岩の永遠の中にしんと沁みてゆくのだ。あるものは、うるさいままの「セミの声」で、永遠の静寂は心の中にある。うるさいセミの声が「有」で、永遠の静寂が「無」だ。「A」によって、「非A」が喚起される。その一瞬が俳句になる。焦点は、「A」でなく「非A」にあるのだから、言葉は最小限にとどめられている。

ボーアはもしかしたら、俳句のことを知っていて、日本に来たのかもしれない。だから富士山を見て、ひらめいたのも、偶然ではなかったのかもしれない。


無から有を生む方法

  日本の受験勉強では、「解」は一つで、しかも必ず存在する。どこに在るかといえば、教科書や、それを教える先生であって、その向こうには、文部科学省が見えている。権威を持つ者が解も持っている。その結果、良い面では、受験勉強は、誰にでも分かりやすく、点数もつけやすく、フェアな競争となっている。 けれどもイギリスでは、こんなことがあった。一九九〇年代に、研究休暇の一年間を、イギリスのオックスフォード大学に滞在したことがあった。その時に息子は、近くの町の中学校に一年間通うことになった。そこは全体のレベルが高いだけではなく、オックスフォード大学で博士号を取った後、大学に就職運動中だったり、研究を続けるためにオックスフォードを離れたくなかったりする人材が、教員となって教えていた。教育熱心で、細かく指導もしてくれた。数学の文章題がでたときのことだ。

  A町から、隣のB村へは、鉄道があり、バスも通っている。鉄道は速いが、本数が少ない。バスはのろいが、昼間の本数は、朝晩とあまり変らない。そのほか、自転車で行くとか、部分的に歩くとか、オプションがあり、オプションごとに細かく数字が挙げられている。この与えられた条件の中で、一番早く着く方法を考えるのが問題だ。日本流には、「一番早く」と言われれば、さっそく解は、一つしかないと考える。ところが、先生から言われたことは違っていた。外国の留学生(うちの息子)へのユーモアも交えて、「おたくのお子さんは、天才です。可能性(仮説)を六通りも、考え出しました。僕自身だって、三通りしか、考えられなかったのに」と、言われたのだ。

驚きだった。この方法はまず、一番早い方法を見つける。これが「A」だ。見つかったら終わりにせず、「非A」に行く。そこで「B」を見つける。「A」と「B」は、両立するが、どちらも一番早い方法だ。条件による。次には、「非B」を探る。見つかれば、「C」だ。こうやって、できるところまで、進む。これが最先端の発想だ。今世界は、第三の発想に満ちている。


インターナショナル・バカロレア

  同じころ、一九九〇年代に、アジア、アフリカ、中近東にまで、国境を越えて広がった、インターナショナル・バカロレアという教育制度がある。この教育機関自体は、正式な起源を、古く一九六八年のスイス本部設立まで、さかのぼることができるが、内容を刷新して、グローバルにパワーアップしたのは、一九九〇年以降と考えることができる。この時期のねらい目は、すでにアブダクション(仮説)を実践している大学生・大学院生を教員として、次世代にたいしてアブダクション(仮説)を推進しようとするものだった。つまりすでに、パラダイム転換している新しい近代人を、大学から集めて教育者に育て、次世代を幼少期から、パラダイム転換しようという目的があったと考えてよいと思う。

  もちろん日本でも、この時期にいち早く、文部科学省の指導で、インターナショナル・バカロレアを取り入れた高校もあった。たまたま二〇〇〇年代に、国際学部関連の学生募集や入試を担当したせいもあって、新しいパラダイムによる、新しい教育にチャレンジしていた高校や中学について、知るチャンスがあった。しかし残念なことに、日本では、このパラダイム転換についての理念は、理解されなかった。欧米ではよく理解されていた、とわたくしは思っている。現在日本では、この試みは、不発に終わってしまったとしか言いようがない。真似をする場合に、相手が物なら強い日本なのに、知識になると急に弱くなる。しかも知識は、物とは違って、たとえどんなに具体的であっても、比較にならず、抽象度が高い。日本文化は、具体には強いが、抽象には弱い。欧米では、この元祖だけでなく、その後にも似たような教育機関が、つぎつぎと出来て繁栄している。


留学生の着地

  日本にも、世界がどれほど進んでしまっているか、先端がどこに在るかを、よく知っている人たちがいる。最近の、欧米への留学生の送り出しのうごきは、この人たちにリードされている。日本の教育の現状に危機感を覚え、学生を選択して、欧米の大学や大学院に送り出し、先端を習得させ、帰国させようというのだ。

  ただし長年、現場で留学に携わってきた視点から見ると、景色はかなり違っている。現地に適応できると、若者のほとんどは、日本に帰りたがらない。能力ある若者にとっては、欧米のトップの大学は、日本の大学とは比較にならず、やりやすい。社会も能力を評価してくれる。出る杭は打たれずに、出ていれば、ヘッドハンターが迎えに来る。しかし、能力主義社会は、能力のない者には、極端に厳しい。適応できない者は帰国する。しかも外国不適応で帰国すると、今度は日本社会にも不適応の場合も多い。うつ状態になったりする者も、実は多くいる。かつて日本のバブル期には、日本の大学受験に失敗した高校生が、アメリカやカナダに留学した。高校の先生も、送り出しに積極的だった。しかし今は、経済的にも個人には余裕がなく、高校の先生方も困難を知ってしまったために、簡単にかわいい生徒たちを、外国に送り出そうとはしない。

  その中で、確かに数少ない成功例はある。しかし歩留まりがひどく悪い。公共の資金で留学させるなら、帰国後の着地の配慮も、初めからする必要があると思う。帰国後の就職が、決まっているなら、とにかく出てみるのは、良いことだろう。適応できても、できなくても、新しい近代の経験は良いことだ。特に適応が難しい場合には、途中で、休みを利用して、こまめに帰国することもよい。もしも可能なら、留学以前に、行き先の短期滞在を経験しておくことを、お勧めしたいが、何よりも行く前に、教養ある英語を、新しい近代パラダイムの表現として、基礎だけでも習得しておくことだろう。帰国してから、無理せずに、時間をかけて吸収することだ。忘れてしまわないことが、重要だ。


異文化は「非A」体験の場

  つぎからつぎへと、個別の経験をしてゆくうちに、自分の文化は「A」で、良く知っているけれど、その文化の外の経験は、すべて「非A」なのだということを悟る。これは、圧倒的な実感だ。「A」を見る目で、「非A」は見えないこと、これが分かれば、新しい目が開く。例えば、アメリカでは自動車は、道の右側を走るけれど、イギリスでは、日本と同じ左側だ。ただしイギリスでは、交差点にロータリー(round-about)があって、ここをぐるぐる走りながら、ぱっと行きたい道に向かって、そこから逸れて進行する。知り合いのアメリカ人の車に乗せてもらったときは、右側を走ろうとするので、左側、左側、と助手席のわたくしが言い続けた。そうしないと、危なくて仕方がない。ロータリーでは、出られなくなって、いつまでもぐるぐる回っていて、助手席の私まで、目が回りそうになった。同じ欧米人でも、こうなのだ 。文化の違いには、まずは慣れよう。しかし慣れるには、アブダクション(仮説)の能力が必要になる。そうしないと、いつまでも目が回ったままになるだろう。

  新しい目で、つぎつぎと、新しい経験を見極めて、自分でも説明を付ける。欧米は、もともと、多様性の文化だ。きっかけは、どこにでもある。今の欧米のトップの大学院は、この新しい目を持つ人材を求めている。出来合いの方法論で固められた優等生は、そこそこ学部までだ。最先端を行く企業や、研究所では、欲しがらない。なぜなら方法論は、解が一つであることを前提として、その解に一直線に到達することを、目指しているからだ。真似るモデルがある間は、モデルが解だから、効率的で、目的達成が迅速だ。日本の近代化にはモデルがあった。大きな成功は、一度目が明治維新、二度目が戦後の経済繁栄期だが、どちらも欧米という信頼できるモデルがあった。


リーダーのための新グローバルスタンダード

  しかし、欧米と横並びになって、すでに久しい。真似ることのできるモデルが無くて、モデルを創出する立場になれば、多様な解(モデル)が可能となる。自分で新しく考え出して、その中から、現実的で、もっとも目的に適合するものを選択する。これがアブダクション(仮説)だ。当たり前と言えば、これ程当たり前なことは無いのだが、この過程は、それ自体が創造的なので、方法化できない。受験体制を勝ち抜いてきた優等生には、かえって難しい。受験は、一つの解に向かって、自分を有効に方法化し、方法を統一できる人が勝つ。解が一つしかなく、しかも自明なのだから、競争は「間違いを犯さない」ことで争われる。失敗なく、着実に点をとることで勝負する。

  しかしここで、解が未知の領域にあれば、たったひとつの方法は試行錯誤だ。IBEはこの試行錯誤の最新版だ。競争は、「失敗を恐れずに繰り返す」ことにあり、「失敗を積み上げる」ことにある。この作業は、与えられた方法を使いこなす優等生には、かえって難しい。方法を統一すれば、アブダクション(仮説)はそこで終わって、一つの解が選択され、マニュアル化も可能になる。ここからはシステム充実化の領域で、新期創出の過程は終焉する。つまりは、アブダクション(仮説)で創出し、受験の優等生がそれを使いこなす。

  今までは、西洋にアブダクションを任せ、日本はシステム充実の優等生になっていた。いまや、日本だけでなく、アジアもアフリカも、日本の後を追っている。この現実を、西洋は実はよく知っているということも、知らなければならない。英語でブラウズしてみよう。この手の知識は、すでにあちこちのブログやホームページで、公開されている。その中で、もっともポピュラーな対応策には、アブダクションによるイノベーションの速度を、極端に早くすることで、システムを作った時にはすでに古くなっていて、使えないようにすること、という提案がある。西洋はこの手の知識を、どんどん公開することで、ネット上にオープンなディスカッションのネットワークを作り上げている。これによって、アブダクションのスピードはさらに加速されるのだ。

  グローバル社会で英語を使うなら、この現実を読み解くことができるような英語を学習しよう。英語が難しいのではない。解がいつも準備されており、しかもそれが一つだと思い込んでいるために、違う方向を向いている英語が難しくなってしまう。グローバル社会の英語がどっちを向いているかが分かれば、英語ができるようになるだけでなく、グローバル社会の動向もそこから、読み解くことができるようになる。日本語を捨てる必要もないし、第三、第四の言語を、学ぶことも夢ではなく、自分の現実とすることができる。解を自分で探してゆくなら、それは可能になる。



[1] 拙著『とつぜん会社が英語になったら』参照。

[2] ただし、これはアブダクションとは違うという学者もいる 。なぜなら、アブダクションはどこまでも、新しい現象を掴み取ることに集中する。新しい現象は、「見えない」か、見えにくい。さっと目の前を、かすめるだけだ。それを定着する過程が必要なのだ。これに対してIBEは、説明理論の創作に集中する。新しい現象に、新しい理論を与えようとするのだ。このふたつを合わせたものが、パースの「仮説」だとすれば、パースは最初、論理過程に焦点を当てたが、後には、直観的対象把握を強調したと、考えることもできるだろう。






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